和コーチングオフィス

家庭連合の現役1世信者です。主にコーチングについて書いていきます。

堂々としたカインになる

今回はあえてカインについて書いていきたいと思います。家庭連合ではアベル側カイン側と分ける事が多いですがここでは省略します。

 

今回の結論としては堂々としている事が大切です

 

創世記ではアベルとカインの供物の話で、アベルのだけを取られたと書いてあります

4:1人はその妻エバを知った。彼女はみごもり、カインを産んで言った、「わたしは主によって、ひとりの人を得た」。 4:2彼女はまた、その弟アベルを産んだ。アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった。 4:3日がたって、カインは地の産物を持ってきて、主に供え物とした。 4:4アベルもまた、その群れのういごと肥えたものとを持ってきた。主はアベルとその供え物とを顧みられた。 4:5しかしカインとその供え物とは顧みられなかったので、カインは大いに憤って、顔を伏せた。 4:6そこで主はカインに言われた、

「なぜあなたは憤るのですか、なぜ顔を伏せるのですか。 4:7正しい事をしているのでしたら、顔をあげたらよいでしょう。もし正しい事をしていないのでしたら、罪が門口に待ち伏せています。それはあなたを慕い求めますが、あなたはそれを治めなければなりません」。 

 

これは聞いた事がある方もいると思いますが、文先生のみ言によれば、アベルは黙って心の中で喜んで、カインの前では謙虚に振るまわなければならなかったのに、自分のだけ受けられた事で、カインにものすごく自慢したと言われてます。これによってカインは腸が煮えくり返るほど激高してアベルを野原に誘ったとあります。

 

ではカインは神様に供えた穀物はどれ位の精誠がこめらていたのでしょうか?

私は決して手を抜いて、適当に育てたとは思いません。むしろこれ以上無い位に真剣に取り組み供え物を準備していたと思います。

 

例えるなら、今までずっと練習してきて、その結果試合で負ける。その時の悔しいと感じる心の度合いによく似ていると考えます。

本当に頑張ってきた人は、その分悔しさは人一倍大きいでしょうし、適当にやってきた人にとっては「まあこんなもんか」と諦めもつくでしょう。

 

なので、これは完全に私の個人的な感想なのですが、カインがアベルを野原に誘った原因は、アベルが煽ったのが原因の一つですが、それ以上に本当に頑張った事に対して馬鹿にされたのが一番じゃないのかな?と私は思います。

 

コーチとしてカインのこの気持ちに対して寄り添って承認していきたいと思いました。カインも身近に相談できる人がいたらもしかしたら変わっていたかもしれませんね。

 

私たちは少なくともコンプライアンス宣言後は本当に馬鹿正直に証伝道をはじめ、Uーpeaceの被災地ボランティアなど色々やってきました。そして、自分自身はどうでしょうか?しっかり仕事して、日常生活をして、家庭での取り組みなど、人によって歩み方は違いますが、

 

それぞれが全力で生きて頑張っている事に対して、前を向いて堂々としていれば良いのだと思います。