和コーチングオフィス

家庭連合の現役1世信者です。主にコーチングについて書いていきます。

SNSの使い方

Twitterで知られるX等のSNSに対しての使い方を考えてみたいと思います。

 

今回の結論は見た人が喜んでもらえるような、心が洗われるような、プラスになるような、創造原理で使うという事です。

僕らはそれに抵抗できない

と言う本を見つけまして、ちょっと読んでみようと思ってます。サンプルを読んでみても興味深い内容が書かれていて、要約すると画面の向こう側にいる人たちがどのような意図でプログラムしたのか?それは軽く人の自制心を越え、ついついスマホを取り出して見たくなってしまうように意図的にデザインされているのです。

ついついゲームで課金したくなるのは、遊んでいる本人が、ギリギリ手が届くかどうかの塩梅でデザインされていたりします。

 

挙げればきりがありませんが、最近はXをよく開いて家庭連合に関するポストを読んでます。そうすると関連したポストが滝のように流れてきて、それを読んでるだけで時間が溶けていき正直結構疲れてしまします。

 

SNSの使い方を考えるきっかけは、エックス上で○○VS○○の構図になった激論を見かけたり、み言を押し付けるかの如くのポストを見かけたりします。

この構図になった瞬間から対立が始まりお互いが論破しようと時間と心を消費しててちょっと見たくないなと思ったのがきっかけで、改めてSNSとの付き合い方を考えてみようと思いました。

 

なんでもそうですが、SNSそれ自体には罪はありません。それを人を傷つけ、自分もダメージを受ける諸刃の剣にするか?はたまた使い方によっては非常に有益に使うのか?それを扱う人間によって善にも悪にもなりえるものです。

 

私は最低でも避けるべき使い方として誹謗中傷はもちろんNGですが

 

特にNGでやりがちなのが正論ですね

そして原理、み言の押し売りです

 

正論とは何でしょうか?辞書では、道理にかなった正しい意見や議論と書いてあります。しかしこれは日常生活でも正論を言う時は本当に注意する事が必要です。

 

本当に信頼関係がある人に対しては正論は提言として捉える事も可能だと思います。

しかしそれでも大体はどうでしょうか?なんか嫌味に聞こえたり、余計なお世話だと感じたり、そんな事分かってるよ!と反発する感情が沸々と出てくる事が多いのではないでしょうか?

リアルでも慎重になるべき正論を、SNSでやると何が起こるでしょうか?それは言うまでもありませんね。

 

では原理、み言の押し売りとは何でしょうか?

これはかなりやりがちなNGです。統一教会を創立する前から今までで語られてきたみ言は相当数があります。御言葉選集だけでも500巻を軽く超えているし、そんな膨大な御言をどの程度理解があるかと言ったら、それこそ十人十色でしょう。

文先生がダンベリーに収監された時は原理の御言葉は一切語らなかったと聞きます。

 

原理は人に向けると名刀の様に切れ味が鋭く、時には非常に大きな傷になりえるものです。

本来は自身で学び実践する事が一番大切です。

 

次に基本的にSNSは匿名性があり、使う名前もいつでも変更可能、顔も分からない人が気軽に使用してます。そんな中で、流れてくるエックスのポストを読んでのポスト主の人柄をどうやって知る事が出来るでしょうか?

  • プロフィール
  • 過去のポスト
  • リンク先
  • ポストの行間

これらの内容である程度はわかるかもしれませんが、そこまで調べる人は少ないでしょうし、あまり関心も無いかもしれません。

ポストする時はその文を読んで返信する事が多いので、勘違いも結構あります。

 

そんな中で正論を言ったところで納得できるかと聞かれたらどうでしょうか?ちゃんと会っての話ならもしかしたら納得するかもしれませんが、ちょっと難しいと私は思います。

 

コーチングに限らないと思いますが、ラポールを築くために、会話では、話す言葉以上に、それ以外の情報を私たちは無意識に得ています。表情、話す速さ、声色など、クライアントの本当に言いたい事をを知るためには非言語の部分がより大切になってきます。

なので議論したいのならば、せめてスペースで実際に会話するのが良いでしょう。

 

信仰を持つものとしては一番心掛けるもの何かと言うと神様が私たちを見てどう思っているかだと思います。そして創造目的とは何かをもう一度振り返ってみて、自分の生活がどうなのかを精査して、それでもってSNS等の使い方を考えてみたら良いと思います。